このブログは創作カテゴリー
創作って、一般的には絵を作ったり、
詩を作ったり、動画を作成したりと
何かクリエイティブな創造活動ということだと思う。
絵を描くほど時間も無いので、
写真撮影も画を作ることに専念するのであれば、
創作活動の一種だろうと勝手に決めつけ、
今日の妄想の始まりと成ります。
写真とは誠に奥が深いもので、
ある人が良い写真と思っても、他の人はそう思わない。
そんな見る側の経験や感性によって異なるもの。
とは言っても、やはり一定のロジックが発生し、
PCなどでよい写真の統計を取って行けば、
おのずと、光の量に対する、絞りやシャッタースピードは
必ず良いバンドが発生しているはずだ。
それは基本情報であるが、ある趣向に持っていこうと
意図した場合、そこに撮影者の意図と共に、
感性が盛り込まれていく形となる。
時には、見えたままの肉眼のイメージを
そのまま、再現したいということもあるが、
こと、ドールちゃんの写真となると、
そうでも無い場合が多々あるに違いない。
まあ、そんな前置きは置いておいて、
今回、この業界の写真を斬ってみたいと思います。
な~んて、えらそう・・・格好つけすぎなのですが・・・
とりあえず、等身大ドールの写真に
迫ってみたいと思います。ヾ(=^▽^=)ノ
この業界では、娘さんの椅子に座った
証明写真みたいなものが増えてしまう傾向にある。
確かに、そうなのです。
多分、こんな写真がその部類に該当します。
当家のこころが、こっちこそ向いていませんが、
直球ストレートど真ん中の日の丸構図。
ちょっとした魅力と言えば、スカートの中?・・・
それと、奥行き感のある道路か?
オートフォーカスでの撮影のくせして・・・後ピン。
極めて、撮影者の意図や魅力を感じない
写真になってしまった感じ。
※確かに、久々の外ロケで撮り始めの、
撮影と言うことで、方向性に戸惑った。
次は、この写真が好きと言ってくれた人が
多かった写真の再アップ。何が違うの?
このときにこころがつぶやいた言葉が
「雨やまないね~」だった。
確かにこの記事(2013年11月19日)の一連の写真では、
この写真だけが、いやに哀愁を感じる写真と言われた。
天気もこの言葉にマッチしていた感じがする。
また、言葉が無くても良かったのかもだが、
マッチした言葉がある事で、さらに、
その想像を書きたてる結果へと
繋がったのではないかと思われる。
哀愁とはなんだ、と思って、調べてみると
「物悲しい様」とか書いてある。
この写真は、意図して哀愁感を狙ったわけでは無い。
1時間しか許されない撮影時間の中で、
ひたすら、お、いいじゃん!って思った時に
シャッターを切った偶然の産物。
そこで、2枚目の写真を注意深く見ていくと、
この写真の不思議な構図に気づいた。
でも、この構図って結構重要なファクターであることは
1枚目の写真と比較しても明白だ。
なぜならば、被写体は同じ。撮影機材も同じ。
違うのは、天気、場所、構図が大きな違いとなるからだ。
まあ、場所も構図として考えると、
よい写真として、重要な順序は以下のような気がする。
1 撮影者の意図(こういう写真が撮りたいという欲望)
2 被写体(自分が良いとおもう撮影対象物)
3 構図
以上、3点をカメラの性能と撮影者の技量にあわせて
意図する写真を作り上げていく事により
より良い写真へと近づくのではないかと思う。
さらに、4番以降を一つのフレーズで表現するならば、
その機材と撮影者の技量によって作り出される
光のコントロールと言えよう。
もちろん、その前に綺麗に撮ると言う事は大前提だが、
3番までなら、コンデジでも可能だ。
4番以降の光のコントロールを正確に行おうとすれば、
ある程度の機材は必要となる。
さらに、この4番以降の光のコントロールを体得しようと
思えば、いつまでもオートに頼っていては
いけないのではないか。
人間の眼では、なかなかその感覚がつかむのが
難しく、露光計などに頼らなければいけない場合も
あるとは思うけれど、感覚を体得するのであれば
マニュアル撮影が近道なのかも知れない。
もちろん、絞り優先等のオート撮影でも良いけれど、
後々、Exif情報などを確認して、失敗写真を基に、
その原因を追究することも、ある程度必要と言える。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
最後にもう一度2枚目の写真を見てみた。
物悲しく哀愁ただようか~?
確かに雨の中、少女が何かを待っているようにも見える。
独り言を喋っているような感じもする。
視線の先には何が見えるのだろうか?
彼女の心の中では、何が見えているのだろうか?
それを斜め後からレンズを通して見る姿は
少し、物悲しくもあり、また愛らしくも見える。
テキストが無くても、こういった一枚の写真の奥にある
何かが聞こえてきそうな気がしてしまう。
実際には、何も聞こえるわけではないけれど、
受け手に聞こえない声が聞こえる写真と言うのは
人が言う、いい写真の一つなのではないかと
今回の経験で思いました。
え?
それで、こころはパンティーはいているかって?
何か、五感で感じることが出来ました?
ご訪問誠に有難うございました。
創作って、一般的には絵を作ったり、
詩を作ったり、動画を作成したりと
何かクリエイティブな創造活動ということだと思う。
絵を描くほど時間も無いので、
写真撮影も画を作ることに専念するのであれば、
創作活動の一種だろうと勝手に決めつけ、
今日の妄想の始まりと成ります。
写真とは誠に奥が深いもので、
ある人が良い写真と思っても、他の人はそう思わない。
そんな見る側の経験や感性によって異なるもの。
とは言っても、やはり一定のロジックが発生し、
PCなどでよい写真の統計を取って行けば、
おのずと、光の量に対する、絞りやシャッタースピードは
必ず良いバンドが発生しているはずだ。
それは基本情報であるが、ある趣向に持っていこうと
意図した場合、そこに撮影者の意図と共に、
感性が盛り込まれていく形となる。
時には、見えたままの肉眼のイメージを
そのまま、再現したいということもあるが、
こと、ドールちゃんの写真となると、
そうでも無い場合が多々あるに違いない。
まあ、そんな前置きは置いておいて、
今回、この業界の写真を斬ってみたいと思います。
な~んて、えらそう・・・格好つけすぎなのですが・・・
とりあえず、等身大ドールの写真に
迫ってみたいと思います。ヾ(=^▽^=)ノ
この業界では、娘さんの椅子に座った
証明写真みたいなものが増えてしまう傾向にある。
確かに、そうなのです。
多分、こんな写真がその部類に該当します。
当家のこころが、こっちこそ向いていませんが、
直球ストレートど真ん中の日の丸構図。
ちょっとした魅力と言えば、スカートの中?・・・
それと、奥行き感のある道路か?
オートフォーカスでの撮影のくせして・・・後ピン。
極めて、撮影者の意図や魅力を感じない
写真になってしまった感じ。
※確かに、久々の外ロケで撮り始めの、
撮影と言うことで、方向性に戸惑った。
次は、この写真が好きと言ってくれた人が
多かった写真の再アップ。何が違うの?
このときにこころがつぶやいた言葉が
「雨やまないね~」だった。
確かにこの記事(2013年11月19日)の一連の写真では、
この写真だけが、いやに哀愁を感じる写真と言われた。
天気もこの言葉にマッチしていた感じがする。
また、言葉が無くても良かったのかもだが、
マッチした言葉がある事で、さらに、
その想像を書きたてる結果へと
繋がったのではないかと思われる。
哀愁とはなんだ、と思って、調べてみると
「物悲しい様」とか書いてある。
この写真は、意図して哀愁感を狙ったわけでは無い。
1時間しか許されない撮影時間の中で、
ひたすら、お、いいじゃん!って思った時に
シャッターを切った偶然の産物。
そこで、2枚目の写真を注意深く見ていくと、
この写真の不思議な構図に気づいた。
でも、この構図って結構重要なファクターであることは
1枚目の写真と比較しても明白だ。
なぜならば、被写体は同じ。撮影機材も同じ。
違うのは、天気、場所、構図が大きな違いとなるからだ。
まあ、場所も構図として考えると、
よい写真として、重要な順序は以下のような気がする。
1 撮影者の意図(こういう写真が撮りたいという欲望)
2 被写体(自分が良いとおもう撮影対象物)
3 構図
以上、3点をカメラの性能と撮影者の技量にあわせて
意図する写真を作り上げていく事により
より良い写真へと近づくのではないかと思う。
さらに、4番以降を一つのフレーズで表現するならば、
その機材と撮影者の技量によって作り出される
光のコントロールと言えよう。
もちろん、その前に綺麗に撮ると言う事は大前提だが、
3番までなら、コンデジでも可能だ。
4番以降の光のコントロールを正確に行おうとすれば、
ある程度の機材は必要となる。
さらに、この4番以降の光のコントロールを体得しようと
思えば、いつまでもオートに頼っていては
いけないのではないか。
人間の眼では、なかなかその感覚がつかむのが
難しく、露光計などに頼らなければいけない場合も
あるとは思うけれど、感覚を体得するのであれば
マニュアル撮影が近道なのかも知れない。
もちろん、絞り優先等のオート撮影でも良いけれど、
後々、Exif情報などを確認して、失敗写真を基に、
その原因を追究することも、ある程度必要と言える。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
最後にもう一度2枚目の写真を見てみた。
物悲しく哀愁ただようか~?
確かに雨の中、少女が何かを待っているようにも見える。
独り言を喋っているような感じもする。
視線の先には何が見えるのだろうか?
彼女の心の中では、何が見えているのだろうか?
それを斜め後からレンズを通して見る姿は
少し、物悲しくもあり、また愛らしくも見える。
テキストが無くても、こういった一枚の写真の奥にある
何かが聞こえてきそうな気がしてしまう。
実際には、何も聞こえるわけではないけれど、
受け手に聞こえない声が聞こえる写真と言うのは
人が言う、いい写真の一つなのではないかと
今回の経験で思いました。
え?
それで、こころはパンティーはいているかって?
何か、五感で感じることが出来ました?
ご訪問誠に有難うございました。