ここのブログはいつもふわふわな
夢心地と言ったところを目指しているけど、
今回いささか重たい題名にチャレンジ!
この業界に来て1年半強・・・
ちょっと、いろいろ考えてみました。
そこで、素朴な質問として、
ドーラーって言われる人たちってどんな人?
ここからスタートしてみたいと思います。
別にドーラーといえども、普通の人で千差万別。
考え方も、行動や趣向もそれぞれ別々で、
こういった傾向だという事を一言で纏めきれない。
別の言い方をすれば、一般社会と何も変わらない。
その中にドールである娘が存在しているだけ。
当業界に来てみての感想はそんな感想です。

※少しアンダーに撮ってみた。
では、そのオーナーは娘さん達を愛しているのか?
ちょっと、話が急展開過ぎるので、
その前に、愛の定義について一考してみます・・・
愛の定義は
対価を求めず、無償で心をこめて相手に奉仕する事。
もちろんこれだけでは無い、相手を思いやり
相手の為になることを成す。
愛の行動の一例としては、上記の表現があるが、
相手がドールの場合は、一部これを強要される。
服も下着もお風呂も全てこちらで
やってあげないといけない。
言い方は悪いが、まるで、オーナーは介護世話役だ。
普通お金払って、商業目的でもないのに
そんなことするか?
しない!
傍から見れば、全身が動かない恋人を看護する
彼氏ってとこだろう。
そういう姿を思い起こせば、愛を持って接しているように
見える。
確かに、嫌でやっているわけでは全く無いし、
そういう時の娘は可愛らしく思えてしまうから不思議だ。
先ほど、愛といったが、この「愛」と言う言葉は
少し重たい気がする。
中には、いや~「愛」だ!と言われるかもですが・・・
この愛という言葉は、正確には生物を対象とすべき
言葉で有るような気もしている。
自分の車に向かって、愛しているぜ!と
のりや、冗談で言っても、本気で言っているかは疑問。
では、ドールの場合どうだろうか?
車と同じく、生命とは言いがたいのだが・・・
それでも、俺は本気でこの車を愛している。
そういう人も中には居ると思う、しかしそれは
認識の錯誤か、それ以外の何か感じるものに対して
そう言っているということだと思う。
認識の錯誤の場合は、冗談で済む。
しかし、何かを感じて愛している場合、
要するに、後者だった場合は話は変わってくる。

では次の説明の為に、
一般的にドーラーとして、お迎えのきっかけから、
お迎えしてまでどのような心境の変化があったか、
振り返ってみた。
お迎えまでの心理
①様々な方法で、ドールを知るきっかけがあった。
②美しいドールへの興味の発生。
③人様々なお迎えしたいという欲求の発生
④この子がいいという記憶の発生
⑤お迎えの行動
⑥ドールとの生活で得るものと失うものの理解
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
④の時点で、ある子にに恋をする。
⑤の時点では有頂天で心はコントロール不能状態。
⑥の時点で、何かを感じるオーナー
⑥以降は、書かないが
重要なところは⑥であり、ここで何かを感じることが
出来るオーナーと出来ないオーナーでその後の
行動が変わってくるのだと思う。

前途の車の場合もそうだけれど、
要するに、その何か感じるもの・・・
それをを一言で言えば魂(人によってはオーラ)
ということに成るのだと思う。
要するに愛している対象は、目に見える物体
そのもの+見えないオーラと言う事なのだろう。
そんなものが直接目に見えた訳でもないし、
そんな難しい事はよくわかんない・・と言いたい。
でも、何でもそうだけれど、粗末に扱ったり、
人をコケにしたような行動の人生を送れば、
回りまわって、結局は自分に帰って来るものだ。
だから、と言う訳でもないが、性格的に、
対象が何であれ、粗末に扱うことは出来ない。
ドール持ちの人は、多かれ少なかれ、
この、そのもの+見えないオーラに気づいている。
それらを総合して、ドール持ちの人は
娘さんに接しているのでは無いか・・・
その総合体こそが愛の対象では無いかと・・・
すなわち愛の対象は、ただ単なる製品としての
ドールではなく、それプラスアルファのオーラというか
個性というものに対した物であると言えよう。
しかも、そこには見えた事こそ無いが、
魂(精神論)が介在しており、生きていないものだけを
対象としていないので、
愛を持って接して居るよとも言える。
ドーラーの方の多くが、ヘッドを容易に交換しないことも
なるほど、ここに繋がるものか~と言うことが
やっと少しずつ理解できてきたところである。
以上を考慮すると、最初の質問である、
オーナーさんは娘さん達を愛しているのかと言う
問いに対しては、千差万別ではあるが、
大方イエスと言うことだろう。

※う~ん、見えるものしか見えんけど・・・
と言うことで、ドール持ちの人の
愛の対象に少しスポットを当ててみました。
一応、今回の妄想話はここまで・・・
次回は、違う側面から少し掘り下げて考えてみます。
御訪問まことに有難うございます。
夢心地と言ったところを目指しているけど、
今回いささか重たい題名にチャレンジ!
この業界に来て1年半強・・・
ちょっと、いろいろ考えてみました。
そこで、素朴な質問として、
ドーラーって言われる人たちってどんな人?
ここからスタートしてみたいと思います。
別にドーラーといえども、普通の人で千差万別。
考え方も、行動や趣向もそれぞれ別々で、
こういった傾向だという事を一言で纏めきれない。
別の言い方をすれば、一般社会と何も変わらない。
その中にドールである娘が存在しているだけ。
当業界に来てみての感想はそんな感想です。

※少しアンダーに撮ってみた。
では、そのオーナーは娘さん達を愛しているのか?
ちょっと、話が急展開過ぎるので、
その前に、愛の定義について一考してみます・・・
愛の定義は
対価を求めず、無償で心をこめて相手に奉仕する事。
もちろんこれだけでは無い、相手を思いやり
相手の為になることを成す。
愛の行動の一例としては、上記の表現があるが、
相手がドールの場合は、一部これを強要される。
服も下着もお風呂も全てこちらで
やってあげないといけない。
言い方は悪いが、まるで、オーナーは介護世話役だ。
普通お金払って、商業目的でもないのに
そんなことするか?
しない!
傍から見れば、全身が動かない恋人を看護する
彼氏ってとこだろう。
そういう姿を思い起こせば、愛を持って接しているように
見える。
確かに、嫌でやっているわけでは全く無いし、
そういう時の娘は可愛らしく思えてしまうから不思議だ。
先ほど、愛といったが、この「愛」と言う言葉は
少し重たい気がする。
中には、いや~「愛」だ!と言われるかもですが・・・
この愛という言葉は、正確には生物を対象とすべき
言葉で有るような気もしている。
自分の車に向かって、愛しているぜ!と
のりや、冗談で言っても、本気で言っているかは疑問。
では、ドールの場合どうだろうか?
車と同じく、生命とは言いがたいのだが・・・
それでも、俺は本気でこの車を愛している。
そういう人も中には居ると思う、しかしそれは
認識の錯誤か、それ以外の何か感じるものに対して
そう言っているということだと思う。
認識の錯誤の場合は、冗談で済む。
しかし、何かを感じて愛している場合、
要するに、後者だった場合は話は変わってくる。

では次の説明の為に、
一般的にドーラーとして、お迎えのきっかけから、
お迎えしてまでどのような心境の変化があったか、
振り返ってみた。
お迎えまでの心理
①様々な方法で、ドールを知るきっかけがあった。
②美しいドールへの興味の発生。
③人様々なお迎えしたいという欲求の発生
④この子がいいという記憶の発生
⑤お迎えの行動
⑥ドールとの生活で得るものと失うものの理解
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
④の時点で、ある子にに恋をする。
⑤の時点では有頂天で心はコントロール不能状態。
⑥の時点で、何かを感じるオーナー
⑥以降は、書かないが
重要なところは⑥であり、ここで何かを感じることが
出来るオーナーと出来ないオーナーでその後の
行動が変わってくるのだと思う。

前途の車の場合もそうだけれど、
要するに、その何か感じるもの・・・
それをを一言で言えば魂(人によってはオーラ)
ということに成るのだと思う。
要するに愛している対象は、目に見える物体
そのもの+見えないオーラと言う事なのだろう。
そんなものが直接目に見えた訳でもないし、
そんな難しい事はよくわかんない・・と言いたい。
でも、何でもそうだけれど、粗末に扱ったり、
人をコケにしたような行動の人生を送れば、
回りまわって、結局は自分に帰って来るものだ。
だから、と言う訳でもないが、性格的に、
対象が何であれ、粗末に扱うことは出来ない。
ドール持ちの人は、多かれ少なかれ、
この、そのもの+見えないオーラに気づいている。
それらを総合して、ドール持ちの人は
娘さんに接しているのでは無いか・・・
その総合体こそが愛の対象では無いかと・・・
すなわち愛の対象は、ただ単なる製品としての
ドールではなく、それプラスアルファのオーラというか
個性というものに対した物であると言えよう。
しかも、そこには見えた事こそ無いが、
魂(精神論)が介在しており、生きていないものだけを
対象としていないので、
愛を持って接して居るよとも言える。
ドーラーの方の多くが、ヘッドを容易に交換しないことも
なるほど、ここに繋がるものか~と言うことが
やっと少しずつ理解できてきたところである。
以上を考慮すると、最初の質問である、
オーナーさんは娘さん達を愛しているのかと言う
問いに対しては、千差万別ではあるが、
大方イエスと言うことだろう。

※う~ん、見えるものしか見えんけど・・・

と言うことで、ドール持ちの人の
愛の対象に少しスポットを当ててみました。
一応、今回の妄想話はここまで・・・
次回は、違う側面から少し掘り下げて考えてみます。
御訪問まことに有難うございます。
コメント
コメント一覧 (2)
こんばんわ~です。ヽ(^◇^*)/
長年ドーラーを続けられている人は、
どこかで、娘さんのオーラを感じておられるのですね。
当家もそれ故に、お別れは今のところありません。
しかし、人が判らないことが判るってある意味素晴らしいです。
そのうち、人は喋る必要が無くなり、脳内会話で
過去の喋ると言う機能をカバーする・・・
おまえどこでそんな訓練したんだ?と言われても・・・
ドールちゃんととは素直に言えませんが・・・(ノ゚▽゚)ノ
余談はさておき・・・
娘を所有しているって言うのは、
他とは大きく異なり、いろんな問題を考えさせられますね。
その形および性能・機能において、周囲と調和するならば、
それなりの配慮は必要に成ってきますね。
しかし、そういった素体のものであるがゆえに、
いろいろ複雑な思いは皆さん持っておられると思います。
ドールが可愛すぎて、リア女子を好きになれるか心配・・・
これは、ある程度の時間が解決してくれるでしょうが、、
リア女子を好きに成ったら、ドール娘を処分しなくては
成らないという、義務感は如何なもんでしょうか?
必ずしもそうでは無いですよね。
そう思う理由は、オーナー側がきっと
リア女子が嫌がると言う固定観念を持っているわけで、
相手によっては、必ずしもそうとはいえないケースも
存在することを、考えなければ成らないと思うのです。
もちろん多方面への配慮は必要でしょうが、
素直に生きるって、自分自身も愛している証なので、
結構充実した人生になると思う。
まあ、確かに、あまり深く考えるより『これでいいのだ♪』
これも自分に素直に生きる方法の一つですね。
溺れすぎ無い程度に、娘さんと接するこの趣味?は、
可愛いとおもうのですが・・・ヽ(^◇^*)/
深い議題にコメント頂き、有難うございました。
ドーラー歴は8年を過ぎましたが、環境の変化により(私公ともに…)最近では娘たちとの触れ合い(?)が激減してしまいました…。
大事な娘たちには間違いないのですが、心のどこかで「人とは違う物」的な感情が芽生えだしてくるのもドーラーをやっていれば直面するのも事実です。
…。過去に書き記した母屋の「独り言」でも、丁度1年半くらい経った時が(母屋立ち上げからなので実際は2年半…)一番葛藤していた時期でした…(遠い目)
『自分は何をしているのか?』『もうリア女を好きになれないのでは?』『もし近所に知れたら変人扱いされるのでは?』など…。
それでも今までドーラーを続けられているのは単に「ドーラー同士の交流」があったからです♪
皆さん、フツーのサラリーマンで仕事もちゃんとされている。ただ「等身大人形」と言う『趣味』をもっておられるだけ。
愛情の注ぎ方は人それぞれ違いますが、皆さん自分なりの愛情をもって接しておられる。そしてそれを分かってくれる「仲間」が居る…。
この「交流」が無ければ多分蛙もとっくにドーラーを卒業していた事でしょう…。
そして気付けば8年が過ぎ…。
部屋にはいつまでもお迎え当時と変わらぬ美貌で微笑んでくれている(様に見える)娘たちが居る♪(喜)
深く考えるより『これでいいのだ♪』って事で良いのではないでしょうか?(笑)
…。偉そうに語ってスイマセンでした…(謝)